おはようございます。
鹿内智治(しかうちともはる)です。
いつも「サラリーマンでもバレずにパニック障害を治せ!」へお越しいただきありがとうございます。
先日、ある本を再読したときに感銘を受けたんです。
そのときに、パニック障害を治すとか、パニック障害に効くとか、そういう次元の話しではなく、そういう分かりやすいことよりも人生全般に通じるような学びがあったんです。
きっと以前にもご紹介している気がしますが、それはこの本なんですね。
「ぼくの命は言葉とともにある」
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著者は視覚と聴覚を失っている全盲ろう者の東大教授。
この本のカバーにある通りなんですね。
「9歳で失明、18歳で聴力も失った、ぼくが東大教授なり、考えてきたこと」
これが本のテーマになっているわけなんです。
最近どうも、個人的に障害と名のつくものにとても興味が出ちゃっているんです。
パニック障害、発達障害、適応障害。ちょっと経路は違うけど、うつ病。
こういった病名を診断されてラベルを張られる、というのは、良い面と悪い面があると思うんです。
原因不明の体調不良と思っていた人にとっては、やっと原因が分かって良かった。。という安堵をもたらすけれども、悪い面としては、この障害というのがアイデンティティになってしまって、もう一生治らない、そんなイメージを植え付ける懸念が私はあると思うんですよ。
ん?本題から逸れているんで、戻しますね。
この本では筆者が幼少期に目が見えないことに悩み、そして、高校生のころに原因不明の聴覚障害を患って、耳が全く聞こえなくなってさらに深い悩みを抱えてから、これまで歩んできたなかで、繰り返し絶望のふちに立たされて、その度に何を考え、何を思ってきたのかを綴った一冊なんです。
なので、ちょっと重いんですね。
想像できますか?
いま、目が見えなくなって、そして、耳が聞こえなくなった状態を?
自分の声すらも聞こえないんですよ。
ただ唯一、体温や温かさ、振動など触覚から伝わる情報はキャッチできるのみ。
もうね、そんな状況、当たり前なんですど、想像すらできないし、想像できても絶望しないと思うんです。
しかも、筆者は内臓は弱いそうで、ときどき体調を崩して病院のお世話になっているようなんです。
さらに、40歳半ばでたしか海外出張に行った先、ストレスから適応障害になって、うつ病に一時的にかかってしまったそうなんですね。
もう、ここまでくると現実味がありません。
本当にそんな人生あるの?と私は思ってしまう。
でも、実際にその境遇を体験というか、生きている人がいるんです。
私のつたない想像力では信じられないです。
これほど極限の状態にいる人は、やっぱり同じように、極限にした経験の人たちの情報を強く欲するようなんです。
まず筆者が挙げたのが、ビクトール・フランクルです。
フランクルの著書はまだ読んだことないので、これからぜひ読みたいと思っています。
フランクルはドイツのアウシュビッツ収容所に強制収容されて、生きるか死ぬのかの瀬戸際まで追い詰められた生活を送っていたのですが、あるときに、「今生きていることに価値はあるのか?」とずーっと悩んでいた問いに答えが出たそうなんです。
人は極限まで追い詰められて制約のある場所にいたとしても、他人が絶対に侵すことができない価値があると、フランクルは言うんです。
それが「態度価値」というもの。
いかなる環境にいても、その場所でどのように振舞うか、これはだれからも奪えない価値だ、というのです。
これには個人的に共感したのですが、福島教授は悩みに悩みぬいた末にある、別の結論に辿り着くですね。
生きている、ということはどういうことなのか?ってことについて、彼なりの結論に達するんです。
その答えが私もとてもしっくり来ると、私も好きな考え方だったんですね。
それはなにかというと、、、
「いかに生きるか、どう生きるか、と言う前に生きているだけで人生は90点!」
という考え方なんです。
これはつまり、生きることに意味を見出す必要はないって言っていると思うんです。(辛くなっちゃうならね。)
意味のある生き方をするべき、とか、自分探しを探求するべき、なーんて言われる世の中になりましたけれども、そもそも、そんな生き方はプラスアルファの部分であって、大前提は生きているだけで、もう十分なことなのである、と言うのです。
生きているだけで奇跡的なことなのだ、という答えにたどり着かれていました。
つまり、生を全面的に肯定しているわけなんです。
そして、そのように生を肯定した上で、
「一生懸命頑張ろう!命を使い切ろう!」
そう主張をされていたんです。
これにはもう激しく同意させてもらいたいです!!
私も拙い人生経験の中で、パニック障害という壁に思いっきりぶち当たりました。
そのとき、生きるということに向き合いました。
そこで出た答えは、ずっと逆の人生を生きてたなーってことだったんです。
以前は、いかに意味のある人生を送るのか、いかに人から認められる人生を送るのか、こればっかり考えて生きていました。
でも今考えれば、ある面ではそれは楽しいし、刺激的なことですが、ある面ではタイヤがすり減るような、削られていくような感覚がありました。
そのことに気付てから、考え方をガラッと考えたのです。
どう変えたかというと、筆者が言っているように、まず今生きていて、貯金もあって、あと3年間グータラしても生きていけるだけの蓄えがある。
なのに、どうして、目の前の、こーんな小さいことに一喜一憂して、悩まにゃらんだ~と思いました。
まずは生きていることに喜びを感じ、それを十分に感じてから、次に人生に意味を見出すように考えよう!
そのように順番を入れかえたんです。
そしたら、なにこうピタッとパズルがハマるように、私の中でその考えが染み込んでいったんですねー。
そこからですよ、私の内面の変容が始まったのは!
この本は全六章まであって、第二章までに今まで話しが書いてありますので、ぜひその続きを読んでみるとさらなる発見があると思いますよ!
新年にこの本と読みながら、自分の生と向き合ってみるのも、いい時間を過ごせるのではないでしょうか。
本からエネルギーを感じてみてください!
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