こんにちは。
鹿内智治(しかうちともはる)です。
パニック障害に苦しむサラリーマンに克服のヒントをお届けすることを目的にブログを書いています。
今回は「パニック障害の治療を始めるときに気を付けること」というテーマでお伝えしていきます。
パニック障害になると日々何かにおびえたり、恐さを感じたり、逃げ出したくなることがあると思います。
きっとそれは、
「こんなところでまた、あの症状が出たら大変」
「人に見られたくない」
という気持ちがあるからだと思います。
私も当時はよく職場で、
トイレに行くふりをして外に出て行ったり、
携帯の着信があったようなふりをして会議室から逃げだしたり
したことは何度もあります。
こんなこと本当はしたくないんですけどね。
けれども、やらずにはいられないんですよね。
こういうときに、パニック障害の辛さを身に染みて感じます。
ではなぜ、パニック障害のことを辛いと思うんでしょうかね?
そのことが当たり前になってしまえば、悩むことはないと思うんです。
でも、悩むじゃないですか?これはなぜなんでしょうかね?
悩みの原因のひとつに、
「パニック障害のことを受け入れられていない」
ことが挙げられます。
治療はまず受け入れることから始まります。
「“受け入れる”とはどういうことでしょうか?」
それは、
「ありのままで自分でOKと言える」
ということなんです。
「こんな発作が起こるのがおかしい」
「恐怖を感じるなんておかしい」
「逃げ出したくなるなんておかしい」
そう思っていることは、受け入れていることになりますかね?
「いいじゃないですか、発作が起こったって」
「変な目で見られてもいいじゃないか」
こう思えるようになると気持ちの面でとても休まると思いませんか?
だから、パニック障害のことを受け入れずにいることの方が辛いことだと思うんです。
「勝手なことばっかり言って~」
「治ったからって他人ごとですか?」
と思われたかもしれません。
ただね、
「パニック障害のことを否定し続けて生きるのは辛い」
と思うんです。
パニック障害である自分を受け入れらずにいる人というのは、自分のことを外から見てるんです。
「自分は人にどう見られているか?」
「自分のイメージを崩したくない」
周りの人からどう見られているかに気をとめているんです。
たしかに、周りの人からどう見られているかは大切なことです。
ただ、治療に専念するのではあれば、周りの人から見られることよりも、
「自分がどう感じているのか?」
「自分は何に恐怖を感じているのか?」
「自分に押さえつけているものは何か?」
ということに、目を向ける必要があります。
他人の目ではなく、自分の目をパニック障害を見つめる必要があります。
だってそう思いません?
他人の目を気にするということは、
「他者にコントロールされちゃっている」
ことと同じですからね。
それでいいんですか?
まずは、自分でパニック障害のことを見つめることです。
パニック障害にもし人格があるととしたら、どんな風にあなたのことを見てますかね?
「へ、へ、へ、また発作を起こしてやろうか!!」
恐ろしい顔をしてあなたへ嫌がらせすることばかり考えていると思いますか?
私はそうは思わないです。
ひとりぼっちで寂しく体育座りしながら、こんなことを思っているのではないでしょうか?
「いつ、受け入れてくれるのかな」
「いつ、振り向いてくれるのかな」
まるで、親からの愛情が欲している子どもに、寂しくひとりで座っているように思うんです。
もし、そんな子を見たら、どうしてあげたいですか?
「振り向いて」
「抱きしめて」
「いままでごめんね」
と謝ると思うんです。
「なんか治療って、そういうことをしてからが真のスタート」
だと思うんですよね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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