こんにちは。
鹿内智治(しかうちともはる)です。
いきなりですけども、私たちはずっと「主観」というメガネをかけて生きているのご存知ですか?
「なんだ主観というメガネって?」
と思われたことだと思います。ちゃんと説明してきますので、ついてきてくださいね!
主観というのはなにかというと、辞書的に言うとこう。
1 表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま。⇔客観的。2 自分ひとりのものの見方・感じ方によっているさま。「主観的な考え」⇔客観的。
客観の反意語である「主観」、自分ひとりのものの見方、とあります。
「自分ひとりのものの見方」という点について深掘りしたいのですが、「自分ひとりのものの見方」というのは往々にして、狭くなりがちです。
なぜなら、「人と比べることが難しいから」です。
「自分以外の人も自分と同じものの見方をしているはず」と思いきや、現実はそうではないことがよくあります。
そうなってくると陥りやすいのが・・・、
「自分に都合のいいように現実を見てしまう」
ということなんですね。これがとても厄介なことなんですが、油断しているとすぐに自分の都合に合わせて現実を見ていることがありますよ。
これから紹介するようなことを感じたことはありませんか?
・電車の中で足を踏まれたとき、「バカにしているのか?」と思ったがある
・電車の中などで近くで笑い声がすると、「オレのことを笑っているのか?」と思ったことがある
ということを感じたことはですか?
あったらですよ、さらに聞きたいのですが・・・・・ちょっとやばい。
なぜなら、
「それは実際に確認しましたか(‘Д’)?」
ということなんです。
きっと、確認してないと思うんです。
「だったら確認していないのに、なぜ分かるのか(‘_’)?」
ということです。
「確認すらしていないことに腹を立ててしまうのって、自分に都合よく捉えていませんかね?」
という事がいいたいのです。
相手の気持ちは実際は分からない。けれども決めてつけてしまっているわけです。
これはまさに
「見たいモノを見たいように見ている!!」
と言えると思います。
そんな状態のことを、「主観というメガネをかけているぞ」と冒頭で表現したんです。
というのも、ある本を読んだときに、
「主観で現実を見ているわ~(*´Д`)」と痛感したことがあったのですね。
いちおう補足ですけれども、主観が悪いと言っているわけではありません!
主観で見てることで、不用意に心に乱していることが問題であると言っているんです。
今回は本の内容に触れながら、主観から逃れらないことを解説していこうと思います。
ホント、主観には気を付けてくださいね!
この本は心理カウンセラーの方が書いた本です。
内容は著者がカウンセリングの神髄を教えてもらった師匠から心理学について学んでいたときのことがつらつらと書かれています。その中で私たちが主観で生きまくっていることをまざまざと見せつけられるトレーニングがあったんです。
それは、「水槽に入った金魚を観察してその様子をレポートを書く」というトレーニングです。
著者はこのトレーニングは何を意味しているのか分からないまま、とりあえず始めるんですね。
教室のなかに置いてある水槽にいる金魚を見ながら書いていくわけです。
きっと金魚はこう思っているんだろうな~と。
それでどんなことをレポート用紙に書いていったかというと、
「本当はこの水槽から出たい!」
「この水槽は汚いから掃除をしてほしい!」
「水槽を掃除する回数が少ない!」
など書きました。書き終わって師匠へレポートを提出したところ、赤ペンで大きく「×」と書かれて返ってきたんですね。
著者は思うわけです、「なにがダメなの?どういうこと?」と。だって、こんな水槽の中に閉じ込められていたら金魚だって絶対にこう思うでしょーよ、と。
そこで「はっ!」と気づくんです。
「金魚に確認してないじゃん!」てね。
「レポートに書いたことは全て自分が金魚の気持ちを勝手に想像して書いていただけじゃないか!」てことに気づいたんですよ。
そこを読んだときに、「まさにそれこそが主観じゃないっすか~!」と思ったんです。
つまり、私たちは自分が都合がよいようにモノや世界を見ているということなんですよ!
うちでも良くありますよ、家に帰るとなぜだか理由は分からないけども、妻が不機嫌ということが。
女性特有なのか、うちの妻だけなのか、定かではないのですが、明らかに「機嫌が悪い」というのは目に見えて分かるんですね。オーラを感じるとも言えるでしょうかね笑
「不機嫌なオーラ」を感じた瞬間に頭の中でババババッと記憶にアクセスしにいくんです。
「あれ~、洗濯ものを洗濯機まで出してなかったかな~」とか
「昨日食器洗ってなかったからな~」とか
「なんか頼まれたごとを忘れちゃってたかな~」とかね。
必死に思い出そうとするわけですよ。で、検索結果になにもヒットしないと「とりあえず様子を見よう」ということになるし、「服をハンガーに掛けていかなかったことが怪しい」と思うとさらに丁寧に接しようと思うじゃないですか。
それで、おそるおそる妻に話しを聞いていると、「実は~息子がお友達を叩いちゃったの。」というレベル(笑)の話しであることが多いですね。でもたま~に自損事故の場合があるので注意が必要なんですよね。
ほらね!
過去になにか感情を刺激する出来事があるとずーっとそれに縛られてしまって、「あぁ~もしかして、またあれかも!!」と思って主観で見ちゃうんですよ。
会社でもそうじゃないですか。
朝出勤したときに「おはようございます」と挨拶したときに、挨拶を返してくれないとなんか「私がなんか悪い事しちゃったのかな~」なんて考えてしまうことないですか?
会議などでも「無視されたな」と思うとなんか「私がなんか悪い事しちゃったのかな」と思ってしまうことないですか?
メールなどでもそうで、「なかなか返信が返ってこない」ときなんかに「私がなんか悪い事しちゃったのかな」と思ってしまうことないですか?
電車でもそうですよ。
電車の中で立っているときに「足を踏まれた」ときに、「オレのことをナメているのか」なんて思ってしまうことないですか?
コンビニなどでも、レジでお会計するときに店員が買おうとしているものを落としたときに、「オレのことナメてるのか」なんて思ってしまうことないですか?
どれも同じなんですね。
「あの人はきっと思っている!」と思ったらこう自分に質問してみてください。
「相手に確認したの?」
相手に確認もせずに相手の気持ちを勝手に読み取って落ちこんでしまうことを続けていると、はっきり言いましてパニック障害なんて治せませんから。
人はいかに主観で生きまくっていて、いかに世の中を見たいように見ているかに気付いた方がいいですよ。
まず主観があることに気付くことから始めましょう!
ただですね、主観に気付くとですよ、、見たいものを見たいように見れるということは、本当に見たいものを自分で選べる!という次のステップに行けるんですよ~!これはすごいことだと思いますけどね。
この話しはまた別のときのお伝えしますね!
コメントを残す